「歴史は繰り返されている」

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パレスチナ・レバノン・イランに対する戦争を巡るレバノン人の見解

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米国とイスラエルが中東で繰り広げている戦争は、イラン拙訳)だけに向けられているわけではない。イスラエル軍は、パレスチナ全土・ゴラン高原などシリアの一部を占領するだけでなく、現在はレバノンの一部も占領しつつある。イスラエルの空爆が上空からレバノンに絶え間なく降り注いでいる。3月に入ってから少なくとも80万人がレバノンの自宅から避難を余儀なくされている。事態を放っておけば、イスラエル政府はレバノンを居住不可能な廃墟に変えてしまうだろう――ガザに対してそうしてきたように。

レバノン民衆への影響を理解すべく、私達はエリヤ゠アイユーブ(Elia Ayoub)に連絡した。彼は以前2019年10月にレバノンで起きた宗派的軍閥寡頭制支配に対抗する蜂起について私達に語ってくれた人物である。過去数十年を背景に最新の軍事衝突をどのように理解すべきなのだろうか?この攻撃はレバノン解放を目指す運動の見通しにどのような影響を与えるだろうか?

エリヤ゠アイユーブはレバノン出身の反権威主義歴史家・研究者である。『The Fire These Times』ポッドキャストをホストし、『Hauntologies』ニュースレターを運営し、現代レバノン史のオンライン講義も担当している。レバノンに対するイスラエルの攻撃で避難を余儀なくされた人々への支援はこちら


レバノンで育つ中で、イスラエルの政策はあなたや周囲の人々の生活にどのような影響を与えたのでしょうか?

全体像に近いものを伝えるには何十年も遡らねばなりません。1982年以降に限っても、イスラエルは過去40年の大半にわたってレバノンを爆撃してきました。彼等は2000年まで南レバノンを軍事占領し、その後2006年に再びレバノンを爆撃しました。その時、彼等は悪名高き「ダヒエ」軍事ドクトリンを策定しました。これはベイルート南部郊外にちなんで名付けられ(ダヒエはアラビア語で「郊外」を意味します)たもので、ヒズボラに圧力を掛けるために民間地域へ過度の爆撃を行うと明確に定めています。彼等は2023年に、そして特に2024年に、再びレバノンを爆撃しました。その後ヒズボラと「停戦」を結びましたが、国連に拠ればそれ以来少なくとも1万回はこの停戦を破っています

そして今、彼等はまたもや爆撃しています。

イスラエルは国家政策として国際法を破っています。2006年の戦争の時、私は15歳でした。イスラエルの戦闘機がダヒエ上空に次々と爆弾を落としていくのを覚えています。南部・ダヒエ・ベカー渓谷出身の親しい友人達は、死に直面し、避難を余儀なくされ、トラウマを負うという経験を繰り返しています。レバノンでは、年齢に関係なく、ほぼ全員がイスラエルの爆撃を目撃しています。ある程度長くレバノンに暮らしていれば、イスラエル国家の暴力を経験しています。

ここで話しているのは、あらゆる社会階層・あらゆる政治的立場にいる何百万もの人々のことです。子ども・その親・祖父母も含めて。例えば、89歳の私の祖母は、子どもの頃に1948年のナクバから逃れましたが、ほぼ1世紀の人生の中で、直接的・間接的にイスラエル国家の暴力の影響を受けずに過ごせた期間は数年しかありません。イスラエルについて私達が知っているのは、それだけです。イスラエルは戦争なしに政治文化として存在できないと広く認識されています。

この点は、私が見た報道の殆どで全く触れられていません。報道は非人間的な地政学的抽象論に限られています。今起きていることは、ヒズボラ(レバノンでは既に嫌われています)がこの国を外国の戦争に巻き込もうとしている、という話だけではありません。もしこれが単にヒズボラの問題に過ぎないのなら、イスラエルが村全体を爆破して民族浄化を行いはしないでしょう。レバノンやシリアの広大な土地に除草剤を散布し、作物や野生生物を殺して農業に使えなくすることもないでしょう。イスラエルの政治家達が日常的に、レバノンを爆撃して暗黒時代に戻すと脅したり、ダヒエをガザに変えると脅したり、レバノンのシーア派(人口の約3分の1)全員を敵対的な住民集団と見なしたりすることもないでしょう。

誤解のないように言っておきますが、ヒズボラは非常に反動的な政党で、私は長年反対してきました。そもそも、イスラエルが南レバノンを占領していなければ、ヒズボラは存在しなかったでしょう。これほど残忍な外国の占領者に抵抗する必要があったからこそ、自らをイスラム抵抗勢力と称するグループが生まれたのです。

そして今、ここ数日間で、イスラエルは南レバノン全域・ダヒエ・ベカーの一部に対して強制退避――事実上の民族浄化――を命じました。歴史は繰り返されているのです。ただ今回は、イスラエル政府が保有する大量破壊兵器が以前よりも更に致命的になっています。

イスラエルは2026年3月第1週にベイルート南部郊外を繰り返し攻撃した。

レバノン及びこの地域全体に対するイスラエルの政策と行為は、過去10年間でどのように変化してきたのでしょうか?

2006年以降の大半の期間、時折緊張が高まることはあったものの、一種の膠着状態が続いていました。イスラエルは2008年以降、特に2014年には、ガザへの空爆に追われ、ヒズボラはシリアでアサド政権の防衛に追われていました。その間もイスラエルの政治家達は、レバノンに対し「いつでも好きな時に壊滅できる」――「そのつもりだ」――と言う機会を決して逃しませんでした。

イスラエルがガザでしてきたことを見れば、彼等がレバノンでも同じことをするつもりだと分かっていました。その結論に至るために特別な知恵は必要ありませんでした。イスラエル側はこうしたことをあからさまに言っているのです。

変化したのは、イスラエルの政治が以前にも増して露骨に大量虐殺的になったという点です。10月7日の攻撃は、既に大量虐殺的だった政治文化に、彼等が必要としていた口実を与えました。その結果は、私達皆が見ている通りです。

レバノン側では、イスラエルの暴力行為が激化していくのを見て、イスラエルがガザを「片付け」れば次はレバノンに矛先を向けるだろうと多くの人が考えるようになりました。

イスラエルによる度重なる侵攻と空爆により、レバノン国内では大量の避難民が続出しています。こうした混沌とした情況下で、レバノンの人々はどのように組織化してきたのでしょうか?どのような団体や運動が、戦争から逃れる人々を支援してきたのでしょうか?

今回の大量避難は、2024年にほぼ同じ地域で発生した同様の避難に続くものだということを忘れてはなりません。人脈のある人は友人や親戚の家に身を寄せ、経済的余裕のある人は住居を借りるなど、既に確立された対応策があります。

こうした手段を持たない人々は最も深刻な影響を受けており、多くの人が路上で寝泊まりしています。避難先がある人はそこへ向かっており、被害の少ない近隣の村々が少なくとも一時的に避難者を受け入れている光景をよく目にします。人々は日々変化する情況に適応しています。個人やグループで募金活動を行う人もいれば、炊き出しのボランティアに参加する人もいます。

しかし、その影響が国中に及んでいる以上、「戦争から逃れる」ことは不可能です。

2026年3月8日、イスラエル‐レバノン国境のイスラエル側にあるイスラエル軍の装甲兵員輸送車(APC)

2019年、レバノンでは社会運動が一気に活発化し、宗派の枠を越えて人々が団結し、軍閥寡頭制支配に反対する動きが広がりました。あの可能性に満ちた時代は、今どうなっているのでしょうか?

当時、私はこの時代についてCrimethIncに寄稿しました

2019年の運動は、この国でかつてない規模の蜂起でした。それは、数年にわたる組織化と抗議行動、政府の汚職の年月、そして――特にこの会話にとって重要なのは――レバノンが充分長い間爆撃を受けなかったからこそ、可能だったのです。もし、今のようにイスラエルが道路や住宅を再び爆撃していたら、私たちは街頭に繰り出すことなどできなかったでしょう。

これは、イスラエルの行動がレバノンの宗派政権を助けてきたことを意味します。

2019年に拓かれた地平はすぐに閉ざされてしまいました。弾圧(ヒズボラによるものも含む)・経済危機・新型コロナウイルスの蔓延・2020年8月4日のベイルート港爆発事故という複数の要因が重なったためです。それ以降の長い間、多くの人はただ生き延びることで精一杯でした。その一方で、相互扶助や炊き出し、その他の地域コミュニティ作りに取り組む人々も多くいました。こうした取り組みの発端は、2019年末から2020年初頭にかけての数カ月間にあります。この時期は、人々――とりわけ1975年から1990年のレバノン戦争後に成人した世代――に、団結し組織化すれば何が可能になるかを示したのです。

あの可能性に満ちた時代は、こうして失われてしまいました。でも、その可能性はまだ失われていないと思います。

現在のネタニヤフ政権とトランプ政権の関係を、どのように理解していますか?どちらが事態の流れを左右し、何を目指しているのでしょうか?

マルコ゠ルビオをはじめとする米国当局者によると、イスラエルがイラン攻撃を決定し、米国はこれに加わることにしたとされています。その意味で、決定権を握っているのはイスラエル政府です。小国が遥かに大きな国をこの事態に巻き込めたという事実、そしてイスラエル国内の極少数の者による決定が、継続する死者の数や環境災害は言うまでもなく、世界経済にもこれほどの影響を及ぼしているという現実は、まさに現実離れしています。

米国には最終目標がなく、先を見据えた計画も全くありませんでした。今、トランプはイスラエルによるイランの石油貯蔵施設空爆に不満を示しており、両者が事前に調整すらしていなかったと分かります。イスラエルが混乱を広げること自体以外に何を望んでいるのかは不明です。彼等は、空爆だけでイランに政権交代を強要できると信じるほど傲慢だったのかも知れませんが、私の見るところでは、単純に可能な内にイランをできる限り破壊することに満足しているようです。この政権は、全世界の目の前で2年以上にわたり大量虐殺を行っても罰せられずに済んできたのですから、明らかに、いつまでも罰を受けずに好き放題できると信じているのです。

米国側にも様々なイデオロギーがあります。キリスト教ナショナリストでシオニストでもあるピート゠ヘグセスは、イランでの破壊行為そのものを勝利として歓迎しています。トランプは明らかにこの情況を把握できておらず、事態がこれほど急速に悪化するとは予想していませんでした。おそらく彼は、ベネズエラで見られたような政権転換の結果を望んでいたのでしょう──マドゥロを排除しつつ、デルシー゠ロドリゲスをトップに据えて米国の意向に従属させる形で体制を維持するシナリオです。しかし、イランではそれを実現できていません。それは、イラン政権がより強力であるだけでなく、イスラエル側に米国とは異なる独自の優先事項があるからです。

米国側がもっと賢ければ、問題はイスラエルだと、とっくに気づいていたはずです。たとえ目的が単に米国の覇権維持にあったとしても、イスラエルへの支援は完全に裏目に出ています。僅か数日で湾岸地域の安全保障という幻想を打ち砕き、世界経済を不安定化させ、米国が信頼に値しないことをあらゆる政府に否応なく示してしまいました。この事態がどのように終わろうとも、米国の影響力が低下した新たな世界秩序が現れるでしょう。

2026年3月9日、ベイルート南部郊外に対するイスラエルの空爆による被害の様子。

米国とイスラエルの侵略に対してレバノン及びその周辺地域で様々な政治勢力が提示している対応の中で、どれが解放の地平を示し得るのでしょうか?

レバノンでは、食の主権に取り組む「ブズルナ゠ジュズルナ」や、エチオピア出身の移民女性達が運営し、住居の提供や食の安全確保などを行う非営利団体「エグナ゠レグナ」といったグループが、宗派主義やナショナリズムに支配された現状を超えて、この国で何が可能かを示す好例となっています。「クィア相互扶助レバノン」もその1つで、このグループが定義するレバノンのクィア゠コミュニティは、レバノン人のクィアだけに限定されていません。

戦争下において、「人道主義」的な言説は、既存の権力力学を再生産しかねません。例えば、移民の家事労働者やクィアのレバノン人を無視する場合です。また、本質的に政治的な情況を非政治化してしまうこともあります。例えば、イスラエルが民間人居住区を爆撃し、全ての人に避難を強いているという事実に触れず、移民の家事労働者がどのような影響を受けているかだけを報じる場合です。私が先ほど挙げたようなグループは、こうした問題を全て乗り越えています。彼等は、人は人であるが故に人を支えるという論理に基づいて活動しています。それ自体が極めて急進的な行為となり得ます。

外国勢力――とりわけ帝国主義諸国――による軍事攻撃は、それを経験した人々に強い愛国心を生み出すことが多いものです。解放運動は、この現象にどのように向き合うべきでしょうか?

レバノンでは、国が既に分断状態にあるため、現実にはそうした事態は見られません。また、ハメネイの暗殺を受けてイスラエルに向けてロケット弾を発射したヒズボラを非難する人々が多数いることもあり、「軍の背後に結集する」ような情況は起きないでしょう。

世界中の草の根社会運動は、この暴力に苦しむ人々を支援するために、今すぐできる最も有効な行動は何でしょうか?

こうした質問にはいつも躊躇してしまいます。というのも、「有効」という基準には考慮すべき要素が余りに多過ぎるからです。一般的に言えば、反権威主義的な枠組みを採用することは、アーヤトッラーのような体制下で暮らす人々の苦しみを軽視せずに、同時にこの戦争が彼等の解放とは無関係であることを認識するための良い方法だと思います。

また、これはイラン・レバノン・パレスチナの外にいるディアスポラやその支援者達が重要な役割を果たせる情況だとも考えています。例えば、今日のイランにはパレスチナ支持の活動を行う余地は殆どありません。というのも、アーヤトッラー政権は長年にわたりパレスチナ支持の言説を自らの都合のために利用してきたからです。その目的は、パレスチナの脱植民地化や、宗教や民族を問わず全ての人を平等に扱う反シオニスト的解決策の推進とは全く関係がありません。イランには、ジェンダー゠アパルトヘイトと呼んでも差し支えない体制が存在しています。そのような国家が、イスラエルの民族至上主義的アパルトヘイトからパレスチナ人を解放することなどできません。

ディアスポラに暮らす私達は、イスラエルの権威主義とイランの権威主義を、同一視することなく結び付けて考えることができます。これは極めて重要な点です。なぜなら、私達は両政権の犠牲となっている人々の体験に配慮しなければならないからです。ガザのパレスチナ人にとっては「イランはイスラエルと同じくらい悪い」と言われると不快に感じるかもしれませんし、イランのアーヤトッラー体制の被害者にとってはその逆もまた同様でしょう。こうしたニュアンスが欠けると、「イスラエルがイランを解放する」という考えを推進する人々――イラン系ディアスポラの一部を含む――が、その主張をより容易に展開できてしまうのです。

イラン系ディアスポラの中には、皮肉なことに、アフヴァーズのアラブ人やクルド人といった非ペルシャ系集団に対するアーヤトッラー政権の弾圧と類似点を持つ、反アラブ的な人種差別が存在します。これは一種の民族至上主義であり、このプラットフォームの読者の多くがより馴染み深いシオニストの民族至上主義と互いに惹きつけ合い、影響し合っています。

パレスチナ系ディアスポラの側では、アーヤトッラー政権の暴力や、いわゆる「抵抗の枢軸」が振るってきた暴力を、より明確に認識するための取り組みが更に必要です。これらはいずれも、表向きはパレスチナ支持を装いながら、アサド政権に反対したパレスチナ系シリア人を含む何万もの人々を殺害してきました。私達の地域ではこうした繋がりを築くことは遥かに難しいのですが、より恵まれた立場にあるディアスポラであれば、切実に必要とされている絆を築く手助けができるでしょう。

ついでに言えば、シオニズム的な民族至上主義を拒み、共通の未来を築くことを支持するユダヤ系ディアスポラの人々とも、私達は絆を深めていく必要があります。

2026年3月6日、レバノン南部ティルスでイスラエル軍による空爆の現場

このような恐ろしい悲劇で最も消耗させられる点の1つは、私達が夢見る世界を築くことよりも、被害を最小限に抑えることに意識を向けざるを得なくなることです。もし米国やイスラエルによる攻撃がなかったとしたら、あなたは本来どんなことを考え、何を行い、どんなものを創り出したいと思っていたでしょうか?

私はレバノンの故郷の村で暮らしながら、もっと田舎へ移って土地と共に働き、食の主権を築き、国内からその先へと草の根レベルで相互扶助を広げていけるかどうかを考えていたことでしょう。

そこの森でより多くの時間を過ごし、レバノンに行ったことのない私の子どもと一緒に、動物や植物について現地の名前を学んでいきたいと思います。

この質問には感謝しています。というのも、私達から奪われたものの大きさを、私達はつい忘れてしまいがちだからです。私はどこにいても希望を持ち続け、その土地に根を下ろそうと努めていますが、同時に、イスラエルと米国という、何世代にもわたって破壊をもたらしてきた国家装置が私達の生活に刻んだ傷を、常に悼み続けています。

南に無法で過度に軍国主義的なシオニスト国家が存在する限り、余りにも危険で、私が子どもと共にレバノンで暮らすことなどできません。


参考文献